映画「聲の形」感想と自分の半生と、これからと。
映画「聲の形」を観てきた、なんて報告するために普段わざわざ文字にすることはないのだけれど、今日は書いてみようと思う。知り合いでも知らない人も多いので。
全般的に多少暗めだけど、どうか明るく読んでもらえれば幸いです。
僕にとって「書く」作業は魂を削るようなもんで、ものすごくエネルギーを使う。だから伝えたいとか吐き出したいとか特段思わないと文字にすることはあまりない。だから多分書き終わった後はよく眠れると思う。
作品について深く触れるとネタバレになるので止めるが、主人公はある期を境に独りになってしまう。今までイジメていたやつがイジメられる、みたいな展開。そこから彼が殻に閉じこもっていく様子が昔の自分を客観的に見ているようで痛かった。
僕はイジメられた、とかそういう訳ではなかったが、大学1年生の時、20歳のころ、確実に壊れた。物理的には前後で何も変わってないが、あれは“壊れた”と形容するに相応しい。それくらいインパクトがあった。
自我が形成されるのは思春期の終わりらしい。そうしてようやく形作られた自我がトンカチで一瞬にして叩き壊された。何も無くなった。というか、目の前にあるものを認識出来ても判断基準が無くなったために何も分からなくなった。
そのころよく海に放り出される(放る、というのは関西弁らしいですね汗 知らなかった…)夢を見ることがあったがまさにそんなイメージで、そういう伝え方をすると誰もが『タイタニック』みたいな展開を予想すると思うのだけれど、それとはまた違って。周りに一片の木くずも無ければ人もいない、そんな夢。
投げ出された後しばらくは凍てつく大海原に「寒い」と感じるんだけど、そのうちマヒしてきて寒さも感じなければ海と自分の体の境界線も分からなくなる。矮小化された自分がそこにいて、けど、極大化した自分も共存している。
実生活でもそんな感じで、どこまでが自分でどこからが自分か分からなくなってしまっていたので、他人にデリカシーのない行動を平気で取れたり、逆に自分が苦しいのに出来もしないことを請け負ったりと滅茶苦茶な行動ばかりしていたのが未だに思い出される。(その当時でも「迷惑かけてる」という自覚はあったものの、どうしていいか解らなくて結局それがストレスになるんですよね)
映画ではその後、そんな苦境に陥った彼に手が差し伸べられる。
私も幸いにして友人に恵まれていて最終的にはどん底状態から脱出できたが、現実はなかなか物語のように上手くいかない。
辛い状態が続くと、普通に生きてても不器用な北山が更に不器用な状態なので、心がこれ以上ダメージを受けないように閉ざしてしまって人間不信になる。それでもって失踪し、当時の彼女の家に居候していた。僕の大学や生活拠点は東京、彼女は京都。正月明けの帰省で生活費となるお年玉と東京行きの切符を持って、京都で降りて。
そう聞く限りでは、「何だよ、やることやってんじゃん」なんて特に男性陣から冷やかしが聞こえてきそうだが笑、正直彼女でもってギリギリセーフというか、彼女が通学のため朝家を出てからの時間と、寝静まっている時間だけが安穏で。行き着くとこまで行き着いている感じ。
寝静まって安穏を確保して、午前3時、することもなくただスライド式の黒の携帯をいじり、自分の情けなさとやるせなさからか、ツーとただ涙を流し、「オレ、そろそろ死ぬのかなぁ…」なんてのが1カ月続く。
正直生きている価値はなかった。
だからか未だに京都の街は好きになれない。決して京都が悪いわけじゃないが。
さすがにそんな状態で寮にいないので、親に連絡が行き、「帰っておいで」となってその生活からは抜け出せるようになる。帰った日、節分の夜、食べきれない程の量の食事が用意されていて、その中でも、小さな陶器のお椀に入ったシチューの暖かさの感覚は今でも鮮明だ。当時お世話になった彼女にもちゃんとお礼言えてないな。
そこからは実家でしばらくリハビリ。といってもぐうたらな生活が続いた。
寝れるだけ寝て。ゲームして。音楽聴いて。
そんな時に、ふと見たCSの音楽チャンネルでこの曲に出会った。
今では売れっ子の源くん(リスペクトを込めて、いつもの呼び方で!)だが、まだソロ活動では駆け出しの時期。上手く表現できないが、誰から見ても紛れもなく「くだらなかった」自分が肯定されている気がして、全編聴いてツーと泣いたのを覚えている。
(このシングルが3/2発売。9日後に3.11が起こり、未曽有の事態、連日続く報道にリハビリ状態in関西でリアル感のない自分に苛立ったものだ。)
源くんだけでなく、この前後で身の周りの人にも助けられた。
アカペラサークルに復帰する道筋を作るためにゴスペラーズの新しいアルバム持って来てくれた友人。サークルにはその後復帰し、今でもつるむ仲だ。
連絡ないのを心配して女人禁制の寮なのに入口まで来てくれて励ましてくれた女友達もいた。彼女は今海外でビジネスリーダーになるべく奮闘中である。クリスチャンの彼女はまさしくマリア様のようだ。
小学生の受験戦争を一緒に戦った友人の母は僕の出来事と同時に気落ちしていた母がとてもお世話になった。
特に寮で同輩の一番気が合う友人にはプライベートでもかなり世話になった。迷惑もかなり掛けたが、嫌な顔せず手伝ってくれた。
元を正せば、その寮に無理やり入れたのは母なのだから、まさしく慧眼である。入っていなければ、出会えなかったのだから。
リハビリにも飽きてきて次の段階に行きたいと思えるようになった時に、そんな彼と何かインパクトある行動を起こしたいと思い、NPO設立に至るのだが、それは次回にしたいと思う。